今日は日本の「ブタ」さんの歴史についてうんちくしようと思います!
豚さん(以降イノシシ)と表記しますのでイノシシと書いてあっても
豚さんと思ってください(笑)
縄文・弥生時代の豚
日本列島では、縄文時代主にイノシシを対象とする狩猟が行われていました
文時代の遺跡から出土するイノシシの骨では飼養段階の家畜利用を示す
家畜化現象の骨が出土していることが指摘されています
一方で、イノシシ飼養はいずれも限定的なもので疑問視する見解も見られているそうです
弥生時代には、日本列島においても本格的な稲作農耕が開始されました
中国大陸では農耕は、豚や馬、牛など家畜が伴うものであるのに対し
日本列島における、弥生期の遺跡からは長期間にわたって家畜の痕跡が
見られないことから、家畜利用を欠いた「欠畜農耕」であるとされてきた
1988年ごろに、大分県大分市の下郡桑苗遺跡において、弥生時代の
完形のイノシシ類頭蓋骨3点と、豚頭蓋骨が出土しさらに九州や本州
の遺跡において豚やニワトリの出土事例が相次いだ
また、縄文時代の本州においては鹿とイノシシの出土比率が1:1であるのに対して
弥生時代には「イノシシ」の比率が増加し、また成獣よりも若獣が多く出土している
傾向が指摘されていた
この弥生時代の「イノシシ」に関しては、西本豊弘さんが下郡桑苗遺跡出土の
イノシシ類骨に骨の家畜化現象が認められることから、野生のイノシシではなく
家畜としての豚であることを発表しました
その後、弥生豚の発見が相次ぎ1999年時点で10箇所以上の弥生遺跡において
弥生豚が確認されている
弥生豚に関しては縄文時代からイノシシが家畜化されて豚になったのではなく
中国大陸から家畜として豚が持ち込まれたという説があり
縄文時代に過渡的な段階のイノシシが見られず弥生時代に突如として
家畜化された豚が出現している点や、日本列島のイノシシの個体サイズが
地域的に差があるが、弥生豚にはかけ離れたサイズである点などが理由とされているそうです
2000年には小澤智生が、中国産豚と日本イノシシは255塩基座502により
区別が可能であるとし、現在の中国と日本のイノシシ、豚に関してミトコンドリアDNA
の分析を行い、日本国内の弥生豚とされる飼料12点のうち11点が
日本イノシシと同タイプの塩基配列を持ち、
弥生豚は日本イノシシそのものであると発表した
これに対して、2003年には石黒直隆さんらが塩基座502によるイノシシと豚の
区別自体に疑義を唱え、新たに255塩基対を含む574塩基対による系統分析を行い
10資料のうち6資料が現在のイノシシと同じグループに、4資料は東アジア系家畜豚
と同じグループに含まれ、大陸から持ち込まれた家畜豚は九州・四国の西日本西部地域
に限られている点を指摘したそうです
DNAとかちょっと難しい話になりましたね(笑)
では今回はこの辺で
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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